もえカン

ウサギと娘の何気ない日常と、自分の趣味&呟きをまったりと。

【今週のお題】たった一人のお祖父ちゃんへ

私には、たった一人のお祖父ちゃんが居ました。
曾祖父を「おっきい(大きい)お祖父ちゃん」と呼んでいた名残で、「ちっちゃい(小さい)お祖父ちゃん」と呼んでいました。

母方の祖母も父方の祖母も同じく50歳という若さで亡くなってしまい、末娘の私は会うことは叶いませんでした。
父方の祖父も私が3歳の時に他界。
そんな私にとってお祖父ちゃんという存在はちっちゃいお祖父ちゃんただ一人でした。

小学生の時に学校で書いて出した敬老の日のお手紙。
買ってもらった画材で描いた絵。
ちっちゃいお祖父ちゃんは亡くなるその日まで、小さな私が送ったその作品を壁に貼っていてくれていました。
絵もお手紙もかなり色褪せていましたが、大切に大切に保管してくれていました。

そんなお祖父ちゃんに、私は子供ながらに悪気なく酷いことを言ってしまったことがあります。
童謡や民謡を好むお祖父ちゃんに、「お祖父ちゃん時代遅れやね」と言ってしまったんです。
園児くらいだったので、悪気はありませんでした。
お祖父ちゃんも「そう、じーちゃんは古い人間やけね」って優しく笑ってくれていたので、「変なの」って笑うばかりで何も考えていませんでした。
家に帰って母に話して、怒られて初めて、優しいお祖父ちゃんを傷つけてしまったんじゃないかと怖くなったのを今でも覚えています。

高校生の頃、心身共に体調を壊して長期入院したことがあります。
面会遮断状態だったんですが、どうしてもお祖父ちゃんに会いたくて。
その事を話したらお祖父ちゃんは直ぐに来てくれて。
痩せ細った私を泣きながら優しく強く抱き締めてくれました。
お祖父ちゃんが泣いたところを見たのは、後にも先にもその時だけです。
つくづく、自分は祖父不幸だと思います。

それからもなかなか直ぐには良くならず、危なっかしい状況が続いて。
結局高校はやめてしまったし、働くこともできなくて、お祖父ちゃんには情けない姿をたくさん見せてしまいました。

そんな中、ちっちゃいお祖父ちゃんとは父と母が離婚して、疎遠になってしまいました。
私たち家族は気にして居なかったのだけれど、お祖父ちゃんは母のことでみんなには申し訳ないからと、積極的に連絡をすることを控えたようです。

だから、会うのは親戚が集まる時だけ。
回数で言えば一年に二、三回くらいかな。
もう一緒に本屋さんへ出掛けたり、一緒に五目並べをしたり。
そんな他愛のないやり取りもなくなってしまいました。

年齢的にいよいよ身体が動かなくなった時、お祖父ちゃんは最期に老人ホームに入ったんですが。
お見舞いに行くと、そこには痩せ細っていて。
私が知らないちっちゃいお祖父ちゃんが居ました。
面影も殆どなく、本当に一瞬分からなくて、私たち兄弟は車椅子に乗ったお祖父ちゃんを一度通り過ぎてしまいました。

みんな驚いて駆け寄って、後に大好きなプリンを母に食べさせてもらっているお祖父ちゃんと少しお話しました。
話している時もお祖父ちゃんを直視出来ませんでした。
内容も頭に入ってこないのに、私はちらちらとテレビに目をやっていました。
お祖父ちゃんが話の途中で眠り始めて、そろそろお開きにしようとなって。
私はたまらず胸がギュッとなってしまいました。
これが最後かもしれない。
そう感じてしまったのかもしれません。

ベッドに横になるお祖父ちゃんの手を握って「お祖父ちゃん、早く元気になろうね。私、また会いに来るから。その時までに元気になっててよ」そう言いました。
兄弟もそれに続きました。
それにお祖父ちゃんは、たった一言。

「あんたは優しい人やね」

お祖父ちゃん…お祖父ちゃんの方が何万倍も優しいよ。
こんな私も結婚出来たよ。
娘も生まれたよ。
ちっちゃいお祖父ちゃんに抱かせてあげたかった。
もっとお祖父ちゃん孝行したかった。
今までのたくさんのごめんなさいと、ありがとうをこめて。


@もえママ


本記事では広告をお休みさせて頂きます。
皆様がお祖父ちゃん、お祖母ちゃんとの優しい思い出を一つでも多く残せますように。